気になる文章を見掛けた。
「今の世の中はこれだけインターネットが普及しているのだから、
ネットが使えない高齢者はともかく、中高年までは分からないことが
あっても、自分で検索して調べることはできるはずだ。
ところが、それすら試みない人は意外なほど多い。
分からないことや疑問に感じたことがあっても、調べない。
ほんのわずかな時間、キーワードを検索にかければ出てくるような情報でも、
調べない。周囲から与えられる情報以外は、自ら取りに行かない人が実に多い。
新聞離れ、出版物離れが進んでいる昨今、情報や知識は印刷物ではなく
ネット経由になったといわれているが、事実はどうやら違うようだ。
私は知識に対する価値観そのものが、低下しているのではないかと危惧している」
(和田秀樹氏)私も思い当たる節(ふし)がある。
高森稽古照今塾では、受講後に感想や質問を書いて提出して貰う。
受講者は皆、若い世代の中でも、知的好奇心が強く、向上心に富む
社会人達のはず。
にも拘らず、初心者の中には、私でなければ行き届いた回答ができないような、
講義内容に踏み込んだ質問ではなく、それこそネットで検索すれば、
一通りの知識なら直ちに得ることが出来そうな、一般的な質問を
書いているのを、時折、見かける。
そのような場合、「それくらいは自分で調べろ」と答えるしかない。知識を「自ら取りに行」く、少し手間を掛けてでも自分で調べてみる、
という姿勢が無ければ、知識を真に“自分のもの”にすることは出来ない。
「いつでも、ネットで調べさえすれば、何でも分かるはず」という
漠然とした思い込み(全く事実ではないが)が、自ら努力して知識を
しっかり身に付けることの大切さを、見失わせているのかも知れない
(いつでも→今やる必要はない、という誘惑も)。自分が“身に付けた”知識の組み合わせの中からしか、
独創的なアイディアは生まれないのだが。
私は「身銭(みぜに)を切った(自分が努力した)だけしか身に付かない」
と教えている。
「“本”離れ」ではなく、「“知識”離れ」が進んでいるのだろうか。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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